サバイバル日和

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柔道界から抹殺された歴史を読め!「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」著者の情熱に脱帽です。

こんにちは!

実は私、格闘技が大好きな、おっさんです。

実は、若かりし頃、格闘技に熱中した時期がありました。もちろん、まったく弱くて、ヘタレなレベルでしたが、50才近くなった今でも、時たま、新たな格闘技にチャレンジしてみたい気持ちになります。もちろんやりませんが。(正しくは、やれません!)

 

そんな格闘技好きのおっさんが、最近読んで血が騒いだ本をご紹介します。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」です。著者の増田俊也が、18年の歳月をかけて取材し、原稿用紙1600枚にまとめた超大作です。格闘技という枠を超えて、これだけの熱量をもった、スポーツ・ノンフィクションに出会ったことはありません。

 

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 著者:増田俊也

力道山(1924~1963年:39歳没)の名前は聞いたことがあるかもしれませんが、戦後日本のプロレスの開祖的英雄です。よくテレビで戦後の日本なんて番組があると、力道山の闘っている姿が、街頭白黒テレビに映し出され、それを見て熱狂する群衆などが出てきます。

 

木村政彦(1917~1993年:75歳没)は柔道家です。全日本13年連続チャンピオン。15年間無敗のまま引退し、戦後、食えないため、プロ柔道に転向(プロレスと同じ興行)しました。

 

その力道山と木村政彦が、プロレスで闘うこととなります。試合前に引き分けの約束をしていたのに関わらず、力道山の裏切りにより、木村が滅多打ちで負けてしまいます。この試合以降、史上最強の柔道家と言われた木村は、戦後の柔道界から存在そのものを抹殺され、マニア以外に知る者がいない人になってしまっていました。

 

力道山 vs 木村政彦

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著者の増田俊也は、木村がなぜ、力道山に復讐せずに生き永らえたのか?を、綿密な取材で明らかにしていこうとします。また、木村のように、戦後、埋もれてしまった、柔術の歴史にも光を当てていきます。

 

木村がなぜ力道山を殺さなかったのか?、木村は、興行(ショー)としてのプロレス=金のため、と割り切っていたから、ある意味"しょうがない"と思っていたからだと、私は思います。力道山に敗北、という汚点はありますが、改めて、木村政彦という柔道家、格闘家の偉大さがわかりました。

 

木村は、力道山戦の3年前に、プロ柔道家として、ブラジルでも興行をおこなっており、その相手は、知る人は知る、ブラジリアン柔術、グレイシー一族の長、エリオ・グレイシー(ヒクソンやホイス・グレイシーの父)です。

 

木村は、エリオの腕を腕緘(うでがらみ)で折り、勝利します。腕緘は今では、ブラジルやアメリカでは「キムラロック」や「キムラ」と言われているようです。

 

そして、何と! いまから、66年前の試合が、YouTubeで見ることができます!!

木村政彦 vs エリオ・グレイシー

youtu.be

 

偉大な柔道家、木村政彦。不器用で人間味溢れる生き方に、日本人を感じます。

ありがとうございました!